7月30日、ディープインパクトが17歳でこの世を去りました。
ディープインパクトは史上2頭目の無敗で三冠※を制し、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップなどG1※を7勝した、誰もが知る歴史的名馬でした。
総収得賞金はなんと、14億5455万1000円❗
その圧倒的な強さに、競馬ファンのみならず、日本中が魅了されました。
史上最強馬・ディープインパクトがどのように誕生し、どんな人生を送ったのか・・・その軌跡を振り返ります。
競馬の主要な競走を格付けするにあたっては「G1」「G2」「G3」のような表記で格付けをする。
ディープインパクトの誕生〜デビューまで
ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日に北海道勇払郡安平町にある、社台ファームに属する生産牧場・ノーザンファームで産まれました。
アメリカからやって来たサンデーサイレンスを父に持ち、母:ウインドインハーヘア、母父:アルザオという血統です。
(左:サンデーサイレンス 右:ウインドインハーヘア)
今でこそ、伝説の名馬と呼ばれますが、必ずしも生まれた時から高い評価を得ていたわけではありません。
実際、セレクトセール※での落札価格は7000万円で、サンデーサイレンス産駒※14頭のうち、9番目の価格でした。
JRHA=日本競走馬協会(Japan Racing Horse Association)が主催する日本最大の競走馬のセリ市。
2002年夏に落札した金子真人氏は、多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けたそうです。
落札された後、ディープインパクトはノーザンファームで暮らしはじめました。
このときのディープインパクトについてノーザンファーム場長の秋田氏は、先頭に立って走ろうとし、薄い蹄を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと語っています。
そんな一面がありながらも、周囲の物音に敏感に反応するなど繊細な面があったそうです。
また、柔軟性の高さが指摘されており、とある記者は、ディープインパクトの元を訪れたときに犬のように後ろ足で耳のあたりを掻き出したので、その柔軟さに驚かされたそうです。
2004年(平成16年)9月8日、ディープインパクトは栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩しました。
初めてディープインパクトを見た厩務員の市川氏は、ディープインパクトが小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと疑ったそうです。
頭角を表したのは入厩して1か月が経過した頃、坂路の調教で初めてタイムを計った際に、ディープインパクトは予想外の速いタイムを出しました。
この時、かなり疲れているかと思い心配して駆け寄ったところ、ディープインパクトは汗もかかずにケロっとしており、市川氏はディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っています。
その後12月にデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊騎手が初めて騎乗しました。
調教を終えると武豊氏は「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話したそうです。
そして・・・デビュー
2歳新馬戦
スタート時は5番手でしたが、レースが終わってみると2着のコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利、まさに圧勝でした。
レース後、ディープインパクトはすぐに息が戻っていたので、市川氏は「クラシック※でも戦える」と思ったそうです。
いずれも古い伝統をもつ3歳馬だけのレース
若駒ステークス
レースでは最後方に位置し、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差がありましたが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利しました。
このスピードは圧巻です❗
この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となり、この時点で三冠達成を確実視する声もありました。
第42回弥生賞
関東では初出走となり、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録しました。
ディープインパクトは好スタートを切り、残り600メートルで一気に仕掛けます。
2歳王者のマイネルレコルトや、京成杯を制したアドマイヤジャパンにクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出ました。
第65回皐月賞
単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となりました。
レース開始直後にいきなりつまづき落馬寸前まで体勢を崩してしまい、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になりました。
さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触するというハプニングも。
それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊騎手がレースで初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利しました。
勝利騎手インタビューで武豊氏は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残しました。
東京優駿(日本ダービー)
東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せました。
スタートは皐月賞と同じく出遅れ、道中は後方につけてしまいます。
しかし、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ完勝❗
前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイでの優勝でした。
1992年(平成4年)のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成しました。
武豊氏はレース後の記念撮影で指を2本立てて二冠をアピールしました。
そして後日、武豊氏はディープインパクトのことを英雄✨というニックネームで呼ぶことを自ら提案❗
神戸新聞杯
最後方から2番手の位置でレースを進めましたが、残り800メートルのところから追い上げ、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつけ、またまた完勝❗
勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコードでした。
ディープインパクトは菊花賞に向けて順調なスタートを切ったのです💗
第66回菊花賞
そして三冠のかかった2005年(平成17年)10月23日の第66回菊花賞。
京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せました。
レースではディープインパクトはこれまでに無い好スタートを切りますが、1周目の坂からかかり始めます※。
そのため武豊騎手はディープインパクトを馬群の内側に入れ、前に行くことを防ぎます。
直線で内へ入ると落ち着き、ローゼンクロイツ、シックスセンス、アドマイヤフジらがいる中団付近に位置しました。
一方、前はシャドウゲイトとアドマイヤジャパンが先行集団を大きく引き離して逃げていました。
そして、最終コーナーから直線に向く辺りでアドマイヤジャパンが先頭に立ちましたが、ディープインパクトはまだ動かず、残り400mを切った所から追い込むと、道中では10馬身以上も差があったアドマイヤジャパンを一気に差し切り、2馬身の差をつけて優勝しました。
シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となりました。
まとめ
こうして、ディープインパクトは見事、中央競馬クラシック三冠を達成しました。
第66回菊花賞でゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ‼︎」は2006年(平成18年)のFNSアナウンス大賞を受賞しました。
この菊花賞の実況は何度聞いても鳥肌が立ちます❗❗
三冠を達成した後のディープインパクトについてはまた来週💗